ゆかごろー's note

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一瞬の喜びより続く喜びを

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例えば、数万円するディナー、飲み会パーティーなど…

仕事を毎日頑張っている人達にとっては、

「自分へのご褒美」として、日々に無くてはならないものですよね。

 

 

でも美味しいご飯も食べてしまえば、お腹の脂肪に蓄積されるだけで、飲みすぎたら、次の日二日酔いで頭が痛いだけ…

 

 

多くの人が「幸せ」だと思っていることは、

一瞬の喜びで終わってしまうもの、

つまり「快感」なんだそうですよ。

 

その一つ一つは一瞬でなくなってしまうから、

人はまた次の「快感」を求めてしまうというサイクル。

 

 

足りなくなったら補充、また足りない、補充。

 

 

人は「長く続かない幸せ」を、求めてしまっているということ。

 

 

そうして得たものは、食べ物でついた脂肪と、軽くなった財布でしょうか?

 

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逆に、長く続く幸せとは何でしょう。

 

 

私が思い浮かべられるのは、

スリムな容姿や美貌を手に入れること、特技を身につけること、経験や知識が豊富なこと、毎日健康でいること…などなど

 

 

 

これらの話を聞くと、

いつも必要のない無駄遣いをするより、

自分の将来の身になることをしていた方が、

真の幸せを掴めるかもしれませんね。

 

 

 

とはいえ、たまにはやっぱり美味しいご飯食べたり、お酒をたくさん飲んだりしたいですよね。

 

 

人は「快楽」が大好きなのです。

これを書いてる私も大好きです。

 

 

 

たまーにしましょう。たまーにね。

 

 

 

''一瞬の喜びより続く喜びを''

 

 

回り続けるこの世界で

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悲しい出来事があった日も

外はこんなにも晴れていて

 

誰かが亡くなった日も

世界は何事もなく回り続けている

 

朝がきて、昼がきて、夜がくる

止まることなんてない

 

勝手に回り続けるこの世界に

私たちはくっついて生きているだけ

 

そんな世界の中で、

この先私は私をどう残していけるだろう

 

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この大きな世界に産み落とされた小さな私は、

この先どんな風に生を全うしていくのだろう

 

そしてそれにいつ終わりが来るのだろう

 

自分で終わらせることもできるし

望まない終わりが来るかもしれない

 

終わりが来る時に

私は自分の生に対してどう思うだろう

 

幸せだったという思いで溢れるだろうか

 

私が私に産まれてよかったと思えるだろうか

 

もし私がこの命を終わらせる時は

出来ればそんな風に思っていたい

 

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そのために今どうしたらいいか

どんな行動をしたらいいか

 

そんなことをかんがえる毎日

 

明確な答えはいつも出ないままだけど

 

とりあえず今は

この限られた時を噛み締める

 

1日1日を大切に生きてみようと思う

自分の休息日

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これといった大きな原因はないのだけど、

なんとなく元気が出ない日がある。

 

今日はそんな日で、

「あれをやってみよう!」「これをしてみよう!」

と言った行動力が生まれない。

 

ただ漠然とSNSを見て、

なんとなく音楽を聴いて電車に乗っている。

 

いつもならこの電車に乗っている時間を、

なるべく有意義に使おうと考えて、

本を読んだり、ためになる情報を見て勉強したりするんだけど。

 

朝もずっと寝ていた。

久々に家を出るのもギリギリだった。

 

なんだか頭がぼーっとして、

体がなんとなく重い感じで、元気がない。

何かをネガティブに考えてしまう。

 

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でも私はそんな日を

「自分の休息日」とでも、名付けてみることにした。

 

人間、毎日元気に行動するなんて不可能だ。

いつでもポジティブに物事を考えられる訳では無い。

 

いつも元気な人にだって、元気じゃない日くらいある。

 

元気じゃない日だって、必要なんだ。

 

 

今日は、自分の休息日。

なるべく無理をせず、1日をやり過ごす。

 

 

そんな日もあっていいよね。

自分の思想を他人に押し付けない

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自分が経験したことや、実際にやってみてよかったことは、誰かに伝えたいですよね。

 

 

誰かにアドバイスをすることは、間違ったことではありません。

 

 

ただ、1つ問題なのは、「相手がそのアドバイスを望んでいるかどうか」。

 

 

自分はこうやって失敗したから、相手にも同じ失敗をさせたくない。教えてあげたい。

そんな思いがあるかもしれない。

 

 

ですが、大抵望んでいないことを言われた相手は、言われたことをしっかり理解することができません。

 

 

人間は、身を持って体験しないと、しっかり理解できない生き物だから。

 

 

何年かして、身をもってその体験をした時に初めて、

 

 

「あの時、ああやって言われたことは、こういうことだったのか。」

 

 

そうやって、自分で経験した時に、大事なことに気づいて、学んでいく。

 

 

 

人間、そういうものではないでしょうか。

 

 

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相手はあくまでも自分のペースで、

自分の人生を生きているので、

相手の行動を操作することは難しいです。

 

 

人から言われたことって、

本当にやりたいことでない限り、

誰だって気が進まないですよね。

 

 

 

相手のためにしたことが、

自分の思想を無理やり押し付けていた、

相手を苦しめていた、なんてことがあるかもしれませんね。

 

 

 

私は相手のためを思って、

自分の思想を話がちな傾向があります。

 

 

なので日頃から、他人に何かアドバイスをするときは、押し付けにはならない程度にすることを心がけています。

 

 

 

相手のためを思うことは素晴らしいことですが、時に相手にとっては迷惑になってしまうかもしれませんね。

 

 

ではでは、このへんで。

絵画にも感動できるような心の余裕

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「心に余裕が欲しい」

 

そう思った時がありました。

 

ある時、仕事先に忘れ物をして、

ただそれを取りに行っただけなのに、

 

「そういえば、誕生日だったんでしょ?」

 

そう言って、包装紙でしっかりとラッピングされた甘いお菓子をくださった方がいました。

 

 

その方は、普段あまり関わることのない、

歳の離れた方でした。

 

 

お店で購入したものをラッピングしてもらうには、

選ぶ時間も加えて、少し時間が必要ですよね。

 

 

その上、今まで相当仲の良い人か、お世話になった人にしか、私は誕生日プレゼントなんてあげたことがありませんでした。

 

 

私はその人の行動に、つい感動してしまいました。

 

 

その当時、時間にもお金にも余裕がなかった私は、

 

「まずはそうやって行動しようと思えるような、

''心に余裕のある大人''になろう。」

 

そう思いました。

 

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そして時は過ぎ…

最近私はこんな言葉に出会いました。

 

 

'' 絵画にも感動できるような心の余裕を作る ''

 

 

私は不思議と、この言葉に物凄く納得してしまいました。

 

 

絵画だけではなくて、

道端に咲いてる花とか、

空の綺麗さだとか…

 

 

普段、私たちが忙しい毎日の中で見落としがちなもの。

 

 

それらに感動できるということはつまり、

心に余裕があることだと。

 

 

この言葉は私に、

「心に余裕がある」とはどういうことなのか、

非常にわかりやすく教えてくれました。

 

 

言葉って、普段話す時もそうですが、具体的なものをわかりやすく提示されることによって、より理解が深まりますし、ハッとさせられることがありますよね。

 

 

今思うと、

以前私に突然誕生日プレゼントをくれたあの人も、

そんな風に普段から、

絵画にも感動できるような心の持ち主だったのではないかと思います。

 

 

 

もちろん、心の余裕だけじゃなくて、

時間にもお金にも、何に対しても、

「余裕」を持つこと。

 

 

 

それは私にとって、最大のテーマです。

「作品」に宿るもの

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世の中には、''作品''が溢れていますね。

書籍、映画、絵画、機械、建物…

そこら中に、たくさん、たくさん溢れています。

 

 

人が心を込めて作った作品には、

その人の魂が宿ると思っています。

 

 

私はその作品を見て、

作り手の思いや人柄、センスなど。

その作品から感じる全てのものを感じ取ることが好きです。

 

 

作り手はその作品を作るまでに、

一体どんなものに影響を受けて、

過去にどんなことを経験したのか。

 

 

そんな風に考えて調べてみると、

その作品を、そして作り手の人物自身を、

より深く見つめることが出来ます。

 

 

また、作り手の思いと自分の感情をリンクさせて、深く共感することも出来ます。

 

 

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わたしは「音楽」という作品を作る人間です。

 

 

ピアノという手段を用いて、

自分の心の中を表現するために、

音楽を作っています。

 

 

なので、私の作る作品はいつも、

「私の心の中そのもの」です。

 

 

もともと私は言葉を使って話しながら、

人に何かを伝えるのが苦手なので、

「音楽」を作ることによって、

聴く人に、ありのままの私を理解して欲しいと思っています。

 

 

音楽を作ることは、私の思いを伝える1つの「方法」でもあります。

 

 

たまに作った音楽を褒められると、

私自身を褒められたような気持ちになります。

 

 

私の作った音楽は、私そのものなので。

 

 

自分の作った作品が、

いつも誰かのそばに寄り添えますように。

 

 

誰かの心に残る作品を作ることが、

私にとって人生の課題です。

 

 

 

 

自分の気分は自分で変える

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今日はどんな日でしたか?

あなたにとって良い日でしたか?

それとも、良くない日でしたか?

 

 

 

欲しかったものが安く買えたり、満員電車で座れたり、仕事が順調に終わって早く帰れたり、好きな人から連絡が来たり…

 

そんな、超最高なことばかり起こる日もあれば、

 

寝坊して遅刻したり、仕事でミスばっかりしてしまったり、それで誰かに迷惑をかけて怒られてしまったり、犬のフンを踏んでしまったり…

 

 

  なんて、ツイてないことばかり起こる日も。

 

 

 

特にツイてないことばっかり起きる日だったら、

ツイてないこと一つ一つで頭がいっぱいになるはずです。

それらに洗脳されて「良くない日」と判断するでしょう。

 

 

でもそんな良くない日にも、

あなたが気づいていないだけで、

1日の中には必ず''いいこと''が潜んでるんです。

 

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逆に超最高だった良い日にも、

悪いことが潜んでるかもしれません。

 

 

''いいことしかない日''や、''ツイてないことしかない日''なんて1日もないんです。

 

 

用は自分の「捉え方」1つで、

良くない日は良い日に変わるんです。

 

良くない日には、

「今日はツイてないことしか起きない最悪な日だった」

 

と思う人がほとんどですが、

 

・「ツイてないことばっかりだったけど…1つだけいいことがあったからそれだけでハッピー!」

 

・「今日起きたツイてないことは、いい事が起きる前触れだと思うから仕方ない。」

 

 

こんな風に考えるだけで、

気持ちが全然違いますよね?

 

 

さっきまで重かった心が、

サァーと疲れが取れていくような、

明るい気分になってきませんか?

 

 

 

特に私はこの、

「ツイてないこと=いい事が起きる前触れ」

という考え方が好きです。

 

 

 

散々ツイてないことばかりで、いい事が自分で全く思いつかなかった日には、こんな風に考えたらいいんじゃないかなと思います。

 

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そうやって前向きに、前向きに、考えて、

また明日を頑張る力を自分で生み出す。

 

 

誰かに頼ったり当たったりするのではなく、

自分で自分の気分をあげること。

 

 

 

最近の自分によく言い聞かせてる大切な言葉です。

 

 

その日の運とかじゃなくて、

自分の捉え方次第で

いくらだって毎日を変えることができます。

 

 

 

運は自分で呼ぶともいいますもんね♪

 

 

 

さあ、明日も良い日にします!

おやすみなさい!